ダークツーリズムのすすめ(1) ダークツーリズムとは何か?


読者の皆様はダークツーリズムという言葉をご存じだろうか。これは災害や戦争被害などによって生まれた、人々の深い悲しみをめぐる旅のことをいう。


その多くが、時代の流れから生み出された悲しみを対象としており、我々に警鐘を提供する機会として、近年注目を浴びている。国内で言えば、福島原発の観光地化計画などで再びこのキーワードを耳にした方も多いだろう。 


しかし、一般にダークツーリズムは敬遠されがちだ。その理由は、「精神的に重く、リフレッシュできない」というイメージのためである。


だが、ここではあえてそのダークツーリズムを改めて紹介してみたい。これがあなたのダークツーリズムへの第一歩となれば幸いである



気軽なダークツーリズム

まず最初に言っておきたいのは、ダークツーリズムは暗く重いものではなく、気軽なものだということだ。なぜなら、ダークツーリズムの目的地周辺には意図して、「精神的にリフレッシュできる」施設が建設されるのが、もはや一般的だからである。


例えば、沖縄は国内唯一の内戦地というダークツーリズムとしての側面と、景勝地としての側面の両方を持つからこそ成功している。 

一方で、サイパン島の隣にあるテニアン島という第二次大戦時の激戦地は、周辺施設が不十分なせいで、その悲惨な歴史にもかかわらず日本人からは知名度が著しく低い島となってしまっている。ダークツーリズムには、ポジティブな周辺施設の充実が必須なのである



悲しみの商品化

ダークツーリズムの最大の問題は、「悲しみの商品化」である。これはマッカネルという観光学者が提唱した理論に基づくものだ。


彼によれば、人々は旅の中で、ここにしかないものを見たいという「本物志向」に陥るのだという。それを逆手にとって、観光地に住むホストの人々は、ゲストに対して過剰な演出を試みるようになる。


これを彼は「演出された真正性」と呼び、これがさらに行き過ぎた結果、「観光の商品化」が起こるとした。 ダークツーリズム、それは人々の悲しみをたどり、ともに悼むこと目的である。


しかしそれは、周辺地域の充実も兼ねて設計されているゆえに、過剰な演出によって、商品化された観光が消費される可能性がある。言い換えれば、過去の悲しい記憶を「客寄せパンダ」として、経済的利益を得る人々が現れるという倫理的な危険性である



観光客と共に作る観光文化

しかしそうした危険性を考慮しても、ダークツーリズムは行う価値がある。なぜなら、悲しみの記憶は、皆が触れたがるものではないゆえに、「忘れられてしまう」という最大のリスクを抱えているからだ。


いうなればダークツーリズムは、人々に忘れてもらわないために、観光客という力を必要としているシステムといえる。ダークツーリズムに参加すること自体が、人々の深い悲しみを共有するための一歩として機能している。


この考え方は、「気軽に」ダークツーリズムを行う上で、非常に心強い考え方ともいえるだろう。 こうした、観光客と現地の人々の双方で「観光」が作りあげられていくとき、それを観光学の世界では「創発的真正性」が高いという。


ダークツーリズムは「創発的真正性」――ゲストとホストが、ともに文化を作り上げていく側面が強い。 


例えばディズニーランドでは、ホスト側が提供する「虚構の世界」を、ゲスト側が「真実の世界」として受け入れることで、観光地の文化が成立している。これも「創発的真正性」の一種である。


ダークツーリズムにおいても、観光者がいることで初めて、人々から敬遠されていた悲しみの記憶が共有され、受け入れられていく。それこそがダークツーリズムの醍醐味だといえる。



世界はあなたを待っている

つまりダークツーリズムは現状、気軽に訪れることのできるインフラをもたらした一方、過度な商業化による倫理的な問題もはらんでいる。だが、その悲しみの記憶を風化させないためには、観光客という力が必要なのだ。


だから、気軽に訪れることこそが大事といえる。ダークツーリズムなんて、暗くて......とためらっているそこのあなた。肩ひじ張らずに、ダークツーリズム、楽しんじゃいませんか?

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