ゴリラにも人権を?~動物の権利~

ゴリラは人間とよく似ているという周知の事実。対して、人間と同程度の権利が与えられていないという実情。これを矛盾ととらえたとき、「動物にどこまでの権利が与えられるべきなのか?」を探る必要性が生まれるのだ。 


「大型類人猿の権利宣言」  

ゴリラにも人権(?)が与えられるべきだ。いや、ゴリラだけではない。すべての大型類人猿に、人間と同じ道徳的平等が適用されなければおかしい。


――こんな考えを持った人たちがいる。


1995年、哲学者ピーター・シンガーらは、「大型類人猿の権利宣言(The Great Ape Project)」を上梓した。この宣言の序文には、「我々は平等なものの共同体を拡張して、この中にあらゆる大型類人猿、すなわち人類、チンパンジー、ゴリラ、オランウータンを含むようにすることを求める」とある。  


「平等なものの共同体」とは何か。現在、この共同体に含まれている生物は人間だけだと言う。この事実は、人間だけが「権利(人権)」を持っているということを意味するようだ。そして、「大型類人猿をこの共同体に含めること」とは、大型類人猿にも人権と同じような最低限の権利(生存への権利、個体の自由の保護、拷問の禁止など)を保障することを意味する。


この主張の根拠はどこにあり、シンガーらはなぜこのような主張をするのだろうか。 これを探るには、まず、ヒトとその他の大型類人猿の違いを正しく認識しなければならない。ここではヒトとゴリラを特に取り上げてみたい。 


ヒトとゴリラ  

人間とゴリラたち大型類人猿の違いは、どのようなところにあるのだろう。


大型類人猿共通の祖先から最初に枝分かれしたのは、オランウータンである。次いで、ゴリラが独自の進化をし、最終的に五百万から七百万年前にヒトとチンパンジーへと分岐した。これらの動物のゲノムは、九十七パーセント以上が共通であるという。数字上、これらの動物にはほんのわずかな違いしかないことになる。


もちろん、だからと言って人間の社会に大型類人猿が完全に適応することは不可能だろう。人間と同じように戸籍登録され、労働などの社会的行動をとることはまず考えられない。ゆえに、人間とまったく同じように扱うというのは難しいだろう。しかし、彼らにも感情があるとすれば、それに対する配慮は必要だとも考えられる。 


メスのローランドゴリラである「ココ」は、世界で初めて人間と手話で会話したゴリラである。猫をみずから飼っていたこともあり、その猫が死んだ際には、その死を悼む様子を見せ、死生観を語ったとも言われる。


このエピソードがどこまで信用できるか難しい部分もあるが、人間の感情に近いものをゴリラがもっている可能性はとても大きい。そうなると、それに見合った配慮が必要になるだろう。人間からの一方的な保護ではなく、彼ら自身に相応の権利を与えるという選択肢があったとしても、おかしいことではなさそうだ。 


ちなみに、シンガーらは「大型類人猿の権利宣言」にて、大型類人猿に権利が与えられたあかつきには、ほかの動物の権利も主張していく考えを示している。大型類人猿に限定して権利を与えるのはあくまで第一段階での話のようである。 


「動物の権利」とは  

一般的には、「○○する権利」とは、「○○してもよい」という許可の意味を表す。しかし、単に動物に権利を与えたとしても、実際のところ、アクションを起こすのは人間側だ。動物は、檻に閉じ込められようが、殺されようが、それを拒否する能力をもたない。  


動物への権利付与は、人間による一方的な動物愛護と異なり、あらゆる動物への搾取を否定する。畜産・狩猟を含め、究極的にはすべての動物を一方的に殺すことを否定することへ行きつく。(現に、シンガーはベジタリアンである。) 


あらゆる動物に権利を与えようというシンガーの目論見が達成されることはほとんど実現不可能であるように思える。しかし、大型類人猿のみにそれを適用するとなると話は別だ。だからこそ、権利を付与するかどうか、慎重な判断が求められる。 


人間としての責任  

狩猟、畜産業、動物園などの飼育展示、ペット、学術研究のための動物実験、動物資源を用いた製剤など、動物利用の倫理的問題は枚挙に暇がない。こうして挙げてみるだけでも、「動物の権利」の実現の難しさがよくわかる。


今のところ、人間の利益としての動物保護を基準に合法・違法の線引きをしていることは否めず、そこには動物からの視点が欠落している。このままでよいのだろうか。  ここで我々は、人間が容易に動物の生命、さらには種全体の存続をも脅かす力をもっていることに、目を向けなければならないだろう。 


コンゴ民主共和国では、現在でもゴリラの密猟がたびたび行われている。狙われているのは、ゴリラの肉だ。難民が急増しているコンゴ周辺では、ゴリラの肉までもが食用にされている。国連環境計画(UNEP)と国際刑事警察機構(ICPO)の発表によると、二〇二〇年代中ごろまでにコンゴ周辺のゴリラが絶滅する可能性があるという。 


動物に権利を与えることは難しい。しかし、人間が彼らに対して配慮していくことは必要不可欠だ。もちろん、たとえば先のコンゴでのゴリラ密猟問題などは、人種問題や戦争、さらには経済とも深く関連する問題であり、種の保存という一面からの見方だけでは解決できない。多面的な見方も踏まえたうえで、ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの個体を保護するとともに、種全体の絶滅を防いでいくこともまた、人間の責務である。


人間にとっての利益追求以上の倫理的理由で、どこまでの保護が可能か。あるいは動物の権利の実現というほとんど不可能のように思える形でしか、究極的には動物を保護することにはならないのか。我々は問いかけることをやめてはならない。 


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