「いや、全然違うよ」
このタイトルを見たおそらく大半の人がそう思われるのではないでしょうか。小奇麗な格好をして四六時中友達を侍らせ青春を謳歌するリア充と、全身の体毛で暖を取って群れを作りジャングルでの日常を生き抜くゴリラ。見た目や知性、習慣に加えて生息地、さらに言えば生物学的区分も異なるこの二者にいったいどんな共通点があるというのか。
結論から言ってしまえば、それは「食事」のとり方にあるのです。
皆さんは食事をどのようにとられますか?僕が食堂や定食屋などで見る限り、複数人でワイワイ食べる集団の横で一人でご飯を食べること、いわゆるぼっち飯をしている人は一定数いるように感じます。
もちろんぼっち飯をしている人たちのなかには「自分がリア充だとは思わないけど、常日頃一人で食べるわけでもないし家に帰ればだいたいは家族と食卓を囲んでいるよ」なんて人もかなりの数でいらっしゃると思います。
そもそも「私はここ半年間一人でご飯を食べたことないし、というか普通一人なら友達呼ばない?」なんて人もいらっしゃるかもしれません。
このような方々は大丈夫。あなた方はれっきとした「ゴリラ」です。馬鹿にするなと僕に対し怒られるのはごもっともですが、皆さんを揶揄しようというわけではありません。
むしろここで取り上げたいのは、その逆――ぼっち飯をする方々、つまり「ゴリラ」ではない方々なのです。
ゴリラはおよそ1200~900万年前に人類との共通の祖先から分かれたと考えられています。それまでは人間とゴリラは同じ生き物であったのです。
人間はゴリラやチンパンジー、オランウータンといったほか(他かな)の霊長類とは異なる進化を遂げ、今の姿や社会・文化を手に入れました。けれども共通する点もまた多く残されています。
その中の一つが「共に食事をする」ということなのです。
例えば、サルは他の個体とは離れて食事をします。サルの社会には1匹1匹に序列が存在し、劣位なサルが優位なサルの前でものを食べると取り上げられてしまうからです。加えてサル社会では目を合わすことは威嚇の意味を持つので、目を合わすことがない距離を保つという意味があります。
しかし、ゴリラは違います。彼らは互いの顔が確認できる位置まで近づき食事をするのです。ゴリラ社会には優劣の意識が存在せず、見つめあうことが挨拶なのです。
さらにゴリラはサルと異なり食べ物を分かち合います。子供のゴリラが大人のゴリラに食べ物をねだって分けてもらう光景は度々目撃されるようですが、これはよく考えれば不思議なことです。なぜ力の弱いものに対し力の強いものが食べ物を分け与えるのでしょうか。
それは力の強いものたちが自らの属する社会は力の弱いものたちの協力があって維持されていることを知っているからです。つまり食べ物を使って社会関係の維持や強化を行っているのです。
そしてそれは人間も同じであります。
ゴリラは近親間や血縁関係が存在するものとしか食べ物を分かち合いませんが、人間はそれよりもっと広い範囲で、極端に言えばまったく見知らぬ人とも食卓を共にすることができます。食べ物を共に食べるという行為ははるか昔から受け継がれてきた人類の社会の要となる行為なのです。
人間は食を共にするという文化を何よりも大切にしてきました。人の一生の節目となる冠婚葬祭のどれをとっても共に食事をするという行為は欠かせません。共に食事をするなかで喜び合い、あるいは悲しみ合うことでその場の人々と一体感を持って、それらの行事が持つ意味や雰囲気を作り上げるのです。
そうした行事がなくとも、日常のなかで人々は家族あるいは友人・恋人と食事をします。このような光景は日本だけでなく、世界の多くの地域で見られる世界共通、人類共通のものなのです。
しかし現代の日本社会においてこうした光景は必ずしも当たり前のものではなくなってきているように僕には感じるのです。
僕が物心ついた時から、僕の周りにはコンビニやファストフード店が溢れかえっていました。外食に出かけて一人で食べている人を見かけても変な人だなと思うことはなかったし周りの人もそれは同じだったと思います。
今の社会では一人で食事をするための環境がとてもよく整っていて、家族や友人と食事を共にしなくても簡単に食事がとれてしまうのです。
これは社会や技術の発展の結果として僕たちが得た恩恵であると同時に、僕たちの社会が根底から崩壊していく予兆なのではないでしょうか。
他者と交流することなくただ効率よく自らの食欲を満たすためだけに食事をして、また会社や学校に行き他者より優れた結果を出そうとする――まるでサル社会のように、序列の下で生きる存在へと僕たちが変貌していってしまう予兆なのではないでしょうか。
下宿をしたいと思っている、あるいはすでに下宿をしている大学生は多いと思います。そういった方々はどのような理由で下宿を望んでいるのでしょうか。
通学時間を減らしたい、もっと友達と夜遅くまで遊びたい、親の干渉から逃れたい……。様々な理由が存在すると思いますが、その望んだ生活と引き換えに親しい人達との食事をないがしろにしてしまってはいませんか。
もちろん下宿をすることが悪いことなのではありません。用事や時間の兼ね合いでしかたなく、あるいはその日の気分でなんとなく一人で食事をすることだってなんら責められることではないのです。
前に挙げたぼっち飯をしている方々だってそれぞれの事情があったのだと思います。
ただ、あなたの隣で食卓を囲んでいるリア充たちを見て「いいな…」と思ったことはありませんか。
楽しそうに笑いあう(合う)「ゴリラ」たちを見て羨ましくなりませんか。
そう思ったなら、あなたの親しい人や大事な人に会った時こう言ってみませんか。
「ていうかさ、今度一緒にメシでも食わね?笑」
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