「PSYCHO-PASS」の哲学用語解説

今季アニメで視聴者の多くの話題をさらっているのはやはり「PSYCHO-PASS」でしょう。今回このコラムでは「PSYCHO-PASS」で世界を揺るがす犯人役として登場する槙島聖護の語りの中から普段聞きなれない哲学的な用語について解説していきたいと思います。


アニメを日頃から全く見ない方も「PSYCHO-PASS」を見ていない方も槙島の柔らかい語り口、まわりを劇場のようにしてしまう理路整然とした口上言いを聴けばまるで壮大な音楽に酔いしれるかのような錯覚に陥ることでしょう。


「パノプティコン」

第19話「透明な影」で槙島を追う公安局の狡噛と狡噛の協力者である雑賀教授との会話での言葉。


イギリスの社会思想家ジェレミー・ベンサムが18世紀末に考案した刑務所。個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視する功利主義者であったベンサムは、社会の幸福の極大化を見込むには犯罪者や貧困者層の幸福を底上げすることが肝要であると考えていた。


「一望監視施設」と呼ばれ中心に塔が、周囲に円環状の牢獄が配置されている。牢獄は塔から監視できるが光量などの関係で独房からは塔の内部は見えない構造になっている。


つまり囚人は常に監視される可能性に曝されるが、現実には監視されているかどうかはわからない。フーコーはこの構造を近代社会の権力の構造の比喩とした。


つまり近代社会では監視者は不在であり、市民は監視されているという視線を自分の中に内面化する事によって、監視される対象の中に監視の視線が内面化されることによってその秩序を維持した。


フーコー曰く、近代では学校、軍隊、監獄の整備により人々を統合し訓練することによって社会を維持したと。


「正義は議論の種になるが、力は非常にはっきりしている。そのため人は正義に力を与えることができなかった」 


 第16話「裁きの門」で槙島がここぞというときに放った言葉。パスカルの「パンセ」から引用した格言。正義と力という普遍的なテーマについて語っている。


以下「パンセ」(人文書院、松波信三郎)からの引用、 

“力なき正義は無能であり、正義なき力は圧政である。(中略)それゆえ、正義と力を一緒にしなければならない。そのためには、正しい者をして強くあらせるか、強い者をして正しくあらせなければならない。正義は議論されがちである。力は承認されやすく、議論を無用とする。それゆえ、人は正義に力を与えることができなかった。というのも力は正義に反抗し、そちらは不正でこちらこそ正義であると主張したからである。かくして、正しい者を強くさせることができなかったので、人は強いものを正しいとしたのである。”  


つまり力を正義と成すことはできるが、正義を力と成すことはできなかったということである。私は近代社会とは自然科学を発展させることによってその力を強大にさせその国、イデオロギー、社会の正しさ、正義を得て、その自然科学の方法論の正しさというのは真の正義ではなくその力に基づいているものであると思っている。


そして多くの市民は自然科学の方法論について何の疑問も抱いていないが、それは上記の近代社会の比喩としてのパノプティコンのように私たちに訓練という形で刷り込まれた思想なのではないか。 

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