図書館戦争。この名前を聞いたことのある人は、どこで知ったのだろうか。原作本全6冊、漫画、アニメ、アニメ映画、実写映画……どこを見ても評判はかなり良い。その魅力はどこにあるのだろうか。図書館戦争ファン歴6年の筆者が解説したいと思う。
ちなみに先に断っておくと、これは主観と偏愛の入り混じった文章である。客観的な批評が読みたい方は回れ右していただきたい。何せこの記事の裏テーマは「図書館戦争への愛をひたすら語ること」なのだ、しょうがないと思って読んでいただければ幸いだ。
さて、まずは図書館戦争という作品の遍歴を見ていきたいと思う。
すべての始まりは2006年、『図書館戦争』がアスキー・メディアワークスから発売されたこと。そこから『図書館内乱』『図書館危機』『図書館革命』と続き、2008年にはスピンオフ作品集『別冊図書館戦争』シリーズ二冊が発売された。
現在番外編を収録した文庫版も発売されており、累計発行部数は400万部を超えているのである。本が売れないという嘆きに溢れた現代において、この数字は驚異的であると言えるだろう。
また多様なメディアミックスも、この発行部数の一因だ。『LaLa』『月刊コミック電撃大王』で漫画化し、『LaLa』版のコミックスは累計200万部を超えている。また2008年にはProduction I.G制作のテレビアニメ版が深夜枠で放送され、アニメのキャストが出演するWEBラジオも配信された。
その後、その続編を描いたアニメ映画や、岡田准一、榮倉奈々といった豪華俳優陣が出演する実写映画も成功を収めている。
そこで「図書館戦争」って何だ一体!という方のために、簡単にだが、ざっとあらすじを説明しておく。
――舞台は、『メディア良化法』という法が施行され、表現の規制が進み、本の検閲やそれに伴う武力制圧が行われるようになった未来の日本。その弾圧に対抗する「図書館」の「図書隊」に入隊した主人公の成長や恋を描く……
というのが主なストーリーとなる。しかしぶっちゃけこれを聞いただけでは何だそりゃと首をかしげるしかないのではないかと思う。まず設定が突拍子ないことで有名な作者の代表作である、詳しくはほんとに読んでくれー!!と全力で叫んで終わる。
……わけにもいかないので、この作品の主な魅力を3つに分けて紹介しようと思う。
「登場人物の【カッコよさ】」「文章の軽快さ」「作品と現実世界のリンク」この3つである。
1.登場人物の【カッコよさ】
先ほど、主なストーリーは主人公の恋や成長だと述べた。しかしこの作品の最大の魅力は、主人公とともにメディアの自由を巡って戦う「図書隊」の仲間の描写にあると私は考える。とにかく彼らが【カッコいい】のである!男女老若問わず、登場人物が皆かっこよくて魅力的で、だからページをめくる手が止まらないのである。
そこで、その中でも特に人気の高い人物を紹介したいと思う。
物語の主軸となる主人公の恋の相手、「堂上教官」である。
彼は主人公の上司に当たるのだが、この図書館戦争ファンの6.8割(当社比)が堂上教官ファンだと私は真剣に思っている。ちなみに雑誌『ダ・ヴィンチ』の「有川ワールドなんでもランキング」において「好きなキャラBEST10」では第1位を獲得。ほらね!やっぱりな!
この堂上教官、実は身長165cmというヒーローとしては割と小さめの設定なのだ。そして主人公・郁の身長は170cm。そう、この二人は「逆・身長差カップル」なのである。この設定について作者は「ライトノベルには女子が男子より背が低くないとだめみたいな暗黙のルールがあるから、それを逆手に取りたかった」と語っている。
もちろん映画版もその他のメディアミックスもこの身長差を忠実に再現しており、最初見たときは「やっぱ堂上教官小さいな~」と思うのだが、これがどんどん【カッコよく】見えてくるのだ!少し台詞を引用したい。
「伊達に日頃から鬼教官に揉まれてませんから」
苦笑するかと思った堂上はびっくりするほど優しく笑い、「いい子だ」と郁の頭を一回撫でた。
「命令だ。辛くなったら必ず俺に言え」
「お前が守れるならどっちでもいいんだ。好きなほうで覚えとけ」
「よくやった」
堂上の手が頭を撫でようとして、面白くなさそうに「お前、なに踵の高い靴履いてんだ」と、いつもより腕を伸ばした気配で郁の頭に手が乗った。
いやいやいやいや、どこのベタ甘少女漫画ですか。いや少女漫画でもあるけど。 ただこの台詞を読んでくうちに男女問わず誰もが「堂上教官かっけー!!」となるのである。
この郁と堂上教官の「胸キュン」シーンが図書館戦争の大きな魅力の一つであることは間違いないだろう。いやーどれだけの乙女が胸キュンしたか!彼らがやってのける読んでて恥ずかしくなるくらいのラブコメも図書館戦争の特色の一つである。
堂上教官は、いつも主人公の憧れであり恋の相手であり、主人公が徐々に持つようになる「図書隊の信念」を体現する存在なのだ。 他の登場人物も、正直語りだすと原稿用紙10枚は書けるのだが、スペースと読者様のアレコレを考えて割愛する。とにかく図書館戦争のキャラクターみんな【カッコいい】のである。それは堂上教官のようなわかりやすいかっこよさだけではない。
たとえばこんな台詞たちがある。
「俺は正論以外には絶対に屈服しない」
妻がどう答えるか、やはり稲嶺には分からない。慰めの声も励ましも稲嶺の耳には届かない。死者に救いは求めない。それが妻であってもだ。何も言えなくなった妻に自分の言い分を重ねて正当化することはしない。それは死んだ妻を使って稲嶺を弾劾する人々に言われるまでもないことだった。
「お膳立てされたキレイな舞台で戦えるのはお話の中の正義の味方だけよ。現実じゃ誰も露払いなんかしてくれないんだから。泥被る覚悟がないんなら正義の味方なんか辞めちゃえば?」
お分かりだろうか。彼らはみんな「本を守る」という信念を持っている。そして自分の矜持を持って仕事をし、戦っているのである。そこでは組織論のような話もあり、「私たちは銃を持つ以上、正義にはなれない」と全員が痛感している。ただ単純な勧善懲悪の世界の「正義のヒーロー」として彼らは戦っているわけではないのだ。
だからこそ、私たちは彼らを【カッコいい】と感じるのだと思う。現実なんて、何が正しいという絶対的な価値観はない。自分のしていることが何なのか、正しいのか、わからなくなる時もある。そんな中で、それでも彼らは「検閲される本を図書館利用者が読むことができるよう守る」という「自分たちの正義」を持ち、それを守るために「正しくなくても、戦う」と言っているのである。
そんな彼らの姿こそ、現実の私たちを勇気づけてくれる【カッコよさ】を持っているのだと私は思う。
2.文章の軽快さ
本書を初めて読んだ人は、その文章のあまりの軽さに驚くかもしれない。
たとえば、
ダメー! そこで優しく笑わないでーーー! などという心の中の駄目出しが堂上に聞こえるはずもない。
「・・・・・・だから、それが勝手だっつってんのよッ! 何ソレ心配かけたくないとか男のプライド!? あんたらそんな傍迷惑なもん捨てちまえっ!」
やれるーーーやる。 呼吸を整え、窓をそっと開ける。銃口の角度を切り替えるのに必要な幅だけ。コンセントレーション(集中力)を一瞬で引き上げる。一人目を食った。焦らず銃口を切り替えて二人目。立て続けに悲鳴と落ちた音がした。
どうだろう、「!」が多さや、まるで漫画を読んでいるかのような気分になる文体に気づくだろうか。作者は本書を「大人のためのライトノベル」と銘打っており、「文章で遊んでみようと思った」と語っている。
この独特の軽さを持った文章こそが、図書館戦争の世界観と多くのファンの獲得を成立させているのだと思う。図書館戦争が扱っているテーマは、実は重い。表現の自由やそれを許してしまう人々の「無関心」いったものを的確に描写している。別冊シリーズでは実際に現実の図書館が抱えている問題を正面から扱っている。
しかし読者が重いと感じないのは、テンポを重視した会話文で進んでいくこの文体に依るものが大きいだろう。また軽い文体なので中高生も読みやすく、それによって多様な読者層を獲得している。
また、この会話重視の文体だったからこそ、SF要素が入った突拍子もない設定であってもメディアミックスに向いていたと言えるのかもしれない。漫画化、アニメ化、実写化が成功したのテンポのいいこの原作を重視した結果ではないだろうか。
3.作品と現実世界のリンク
ここまでフィクションとしての「図書館戦争」を扱ってきたが、この世界観が少し現実味を帯びつつあることをご存知だろうか。
『東京都青少年健全育成条例』……ニュース等で耳にしたことがある人もいるかもしれない。この条例の施行や、改正が決定されたときネットでは「リアル図書館戦争だ」と騒がれたのだ。
この条例はどのようなものなのか。 実際の条例には『青少年(18才未満)の環境の整備を助長するとともに、青少年の福祉を阻害するおそれのある行為を防止し、もつて青少年の健全な育成を図ることを目的とする。』とある。
その内容としては、『有害図書(この条例が言う「不健全図書」)類の指定および規制』、つまり18歳未満に見えるキャラ(非実在青少年)の「性交や性交類似行為を肯定的に描写」し、「子供の性に関する健全な判断能力の形成を阻害するおそれがあるもの」に対し、18歳未満への販売や貸し出しを自主規制するよう求めているというのだ。
この「非実在青少年」というのが問題である。「非実在青少年」の定義は不明確で、青少年と性をテーマとする作品であれば、全て該当しかねないという批判が起こっている。 こうした条文は、公共施設が同人誌即売会などの利用を断る口実になりかねず、表現者から自由な表現のための場を奪いかねないのである。
これは図書館戦争で言う「表現の自由の制限」のほかならない。この施行に反対する多くの著名人の運動があったが、2013年現在、様々な改正が加えられつつ、確実に施行されている。実際に現在、漫画が「有害図書」に指定されている。
また、2013年には『児童ポルノ禁止法改定案』が提出され、今なお継続審査されることになっている。この改正法案は「児童ポルノ」の単純所持の禁止、つまり所持しているだけで罪に問われるということを含んでいる。本や写真であれば焼き捨て、DVDやビデオテープは破砕して廃棄、HDD内のデータも復元できないように消す必要があり、大抵は初期化が必要になる。
また本人の意思に関係なく罪に問われるため、例えば訪問したサイトの画面のずっと下のほうに不適切な画像が貼り付けてあって気付かなかったとしても、PC上には見えない領域でその画像のサムネイルが保存される場合がある。そういう意図しないサムネイル画像であっても罪に問われるのだ。
また「児童ポルノ」の定義も曖昧であり、「衣服の全部又は一部を着けない児童(18歳未満)の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」というが、18歳というと児童ポルノといわれて一般的に思い浮かぶより遥かに広い範囲が含まれている。
例えば17歳のアイドルのグラビアページやジャニーズなどの少年アイドルの薄着姿であっても処罰の対象になるのである。 そして今回の改正案では「政府は、児童ポルノに類する漫画等(漫画、アニメ、CG、擬似児童ポルノ等を言う。)と児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進する」とあり、被害を受ける実在の児童は存在しないにもかかわらず漫画やアニメ、ゲームを規制しようとしている。
これらのことを大手メディアは殆ど取り上げることも無く、内容について詳しく知っている人はまだまだ少ない。そのような法改正が少数の国会議員による議員立法で提出され、数時間の審議だけで成立してしまう可能性があるのだ。
このように「図書館戦争の世界」はだんだん現実世界とリンクしており、一概にフィクションとも言えなくなっている。 これから表現の自由はどうなるのか。自主規制は見えないところからじわじわ始まってくる、そんな描写が図書館戦争にあった。「こんな世界になったらイヤだ」が図書館戦争の根底にあるものだったはずなのに、実際に行われつつあるのである。
現実には、図書隊は存在しない。表現の規制が始まったとしても、対抗してくれる彼らはいないのだ。 だからこそ、図書館戦争を読んだ私たちが、まずはこの問題をしっかり知ることが大切なのではないだろうか。
作中で、「メディア良化法が成立したのは、人々がそのことに無関心だったからだ」と主人公たちが語るシーンがある。『視聴者や読者に自覚させないように違反語をこっそり狩っていき、気がついたら一語一語では済まないもっと大きな何かが狩られている。』という台詞もあった。
人々が無関心だと、知らないあいだに表現の規制は始まっていくだろう。しかし私たちがちゃんとその存在を認識し、反対の声をあげることが、「リアル図書館戦争」を生み出さない一番の方法ではないだろうか。図書館戦争を読み、現実世界に目を向けると、そう思わざるをえなくなってくる。そう思わせる強い力を持っているのも、図書館戦争の魅力であろう。
まとめ
ここまで延々図書館戦争の魅力を語ってきたが、とりあえず言いたいのは「まずは読みましょうっ!」ということだけである。
きっとあなたを、魅力的なキャラクターが、文章が、世界観が、待っているだろう。現実を生きる私たちの背中を押してくれる作品。図書館戦争が多くの人々の心を捉えて離さないのは、そんな作品であることの証拠ではないだろうか。
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