これは先日行われた麻布中学校の入学試験の問題である。
この問題の目新しさが今巷を沸かせているようであるが、僕が気になったことは別にあった。
99年後
ドラえもんが作られた70年台の人々は、99年後にはドラえもんのようなSF世界が広がっていることを夢見たのだろう。
科学は2次曲線的に発展してきた。エジソンが蓄音機を実用化して135年、アインシュタインが相対性理論を発表して100年近くがたった。2000年の歴史を考えると、この100年、200年での進歩は目覚ましいものがある。
しかし僕らの手は、未だ天には届かない。この星の青さを網膜に焼き付けることができた人は数えるほどしかいない。
ドラえもんへのカウントがゼロになる頃、僕たちは真の意味で宙にたどり着けるのだろうか?宇宙旅行や惑星移住、テラフォーマーという言葉が僕達の物になる日は来るのだろうか?
そんなことを考えていると、ふと大学で宇宙に関するシンポジウムが開催されていることを知った。僕はこれも何かの縁かと思い、先輩と参加することにした。
そこで聞いたことは、ある種の衝撃を僕に与えた。しかし一方で的を射ていた。
宇宙への進出は現状厳しい
政府にとって宇宙進出はコストの面で見合った対価が得られないことがひとつの理由である。未知の大陸を開拓しようとしたフロンティア・スピリットの時代と違って、今はフロンティアに何があるかを特定できることもある。冷戦の頃と違って、国家の力の象徴でもなくなった。宇宙船やステーションの打ち上げ競争はもはや過去の出来事となった。
では民間が宇宙開発の役目を担うのだろうか?現在民間企業はNASAやJAXAの仕事の一部を請け負っているが、やはり民間はメインとして宇宙開発に着手することはない。一部の高所得者のみにしか国家レベルの財力は無いからだ。しかし、彼らでさえビジネスにならなければ宇宙産業には出が出せない。1泊2日1億円の宇宙旅行に誰が行くだろう。
また、日本では塀の向こうにいる、堀江貴文氏が有名だ。彼は国を引っ張る力としてロケット打ち上げを唱えた。
国を引っ張る力、ロマン。
そうだロマンだ。宇宙開発はロマンではないか。何を迷うことがある。ファンタジーのような現実を求めて何が行けないのか。
声なく抗う僕に対して、古市氏(講演者)は言う。
「宇宙へのロマン(あこがれ)は夢のない僕達が作り上げた虚構にすぎない」
夢を見た時代も、夢が実現した時代も終わり、残されたものは今という虚構だけだ。大衆化社会、消費社会、個人の生活の充足を満たすための社会。そんな今の社会が生んだ仮初の夢が宇宙だという。
宇宙のシンポジウムで宇宙を虚構だという古市氏に僕は脱帽した。
衝撃を受けたまま僕は帰途についた。
道中でお祭りに行く集団に出会った。道は屋台でいっぱいで人々は楽しそうな笑顔で練り歩く。なぜだろう?
そこで一筋のひらめきが頭をよぎった。
やはりロマンなんてもはや今には残されていない。
衛星写真やグーグルアースで地上のほとんどの場所を家で覗けるようになった。子供の頃のように世界は広くはなくなった。大きな公園は冒険の舞台ではなくなった。技術の発展に追い打ちをかけるように、心は新鮮さを失っていく。非現実が現実でうめつくされていく。
日常が彩りを失っていく。そこに無理やり塗りつけたのが宇宙という夢であり、眼前に広がる色とりどりの屋台なんだろう。
だったら仮初の力でもいいんじゃないか。虚構の時代を受け入れた上で、自分自身の生活を彩っていくことが、今という時代を生きるすべではないのか?
だから、宇宙が虚構であっても僕は構わない。そう想う。
実現しなくったっていい。宇宙エレベーターも火星への移住も、夢は夢のままで構わない。ただ夢を見せてほしい。この現実を生きるための夢を。
気づけばもう周りは暗い。
天上の宇宙には僕を見下ろすように、冬の星座が浮かんでいた。
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