マサカノ・鍋・デ・セイジ・カタッテミターヨ ~民主主義風政治グラッセ添え~


2012年もあと少し。みなさんは年の瀬の予定は決まりましたか?私はといえば、年の瀬の前にあの国民的大イベントへ言及せずにはいられない心持ちである……そう、衆議院議員総選挙である。


しかし、今日の日本社会においては若者が政治に関心を持っているとは言えない状況である。そこで、あえて今回は22歳の私が、この難解極まる政治、もっというなら民主主義を、同じく冬の風物詩である「アレ」に例えてみようと思う……それは「鍋」だ。


ぐつぐつと音を立てて踊る肉や野菜たち、素材そのままの旨みの濃縮したスープ、最後に食べる雑炊へのわくわく。鍋はそのおいしさや安さといった面で冬の風物詩となっているが、なぜ「鍋」で「政治」が語られるのか?それは鍋に欠かすことのできない魅力、「全員参加」の原則にある。


一般に友人同士で鍋を囲む際には、買い出しから一緒に企画されることが多い。そして鍋を作る際にも共同作業は必要だ。一人一人が協力して作るところに、民主主義の原則である「全員参加」の原則を見て取ることができる。


だがここで真に注目すべきはその「満足度の高さ」である。たとえば鍋をみんなで作って、結果あまりおいしくない料理になってしまったとする。しかしかえってそれが面白かったりするのである。その場合、満足度は低くなるどころか、次の鍋の企画が立ってしまったりして各参加者の満足度は高くなる。


この場合では「その鍋、まずいよ」という外部の人間からの一般論は成り立たない。なぜならそれは合理的には的を得ているかもしれないが、上で見てきたようにその鍋がつまらなかったことの証明にはなりえないからである。


さらに言うならば、「鍋に参加していながら、実際の諸作業は任せていた人」と、「最初から鍋に参加していなかった人」が大きく違うのも理解できよう。つまり前者は大きな仕事をしたわけではないが、鍋に参加したことによりコミュニティへの帰属意識が高まる。一方後者の人たちはいかにあがこうと、鍋をしたそのコミュニティへの帰属意識が高まることはありえない。


これは政治でいえば、政治に参加はしているが特定団体における政治活動はしていない無党派層と、もとから政治に興味のない政治的無関心が違うのと同様の論理である。


つまり、鍋と政治(=民主主義)の共通点とは「参加することで初めてその楽しさが分かる」ことにあると思う。政治の楽しさ、という言葉が適切かどうかは分からないが、少なくとも、政治に参加しなければわからない「満足感」というものが私は存在するのではないかと考えている。


しかしここには一つの大きな疑問が残る。それは「内部の満足度が高いからといって、その組織・その政治が外部の賛同を得られるという証明にはならない」という観点である。


これは当然の意見で、たとえば夏場にバーベキューをしてゴミを放置する団体を思い浮かべてもらえばわかりやすい。鍋ならば満足度が高いだけでいいかもしれないが、政治はそうはいかない。政治にあまり興味がない層=外部の人々の満足度も高めていかなければならないのが、政治というものである。


ここでは二つの解決方法を提示しておこうと思う。一つ目は外部をなくすことである。政治で言えば国民全員の政治参加を促すこと、鍋で言えばサークルや組織のメンバー全員と鍋をすることである。当たり前だが効果的な方法だ。そうは言うもののどうしたら100人もいる組織で一緒に鍋をすることができるだろうか?


例えば100人一斉にでは無理でも、15~20人ずつで何ヶ所かに分かれれば開催できるのではないか?そうすれば参加者一人一人も満足度は高くなるだろうし、コストも安くなりそうだ。実はこれがいわゆる「地方分権」の発想なのである。このように近年叫ばれている地方分権の裏には「政治への主体的な参加のしにくさ」を緩和しようとする働きもあったのだ。


そして一つ目の解決方法が外部の変革だとするなら、二つ目の解決方法は内部の変革である。つまり、政治組織内部に「外部環境と内部環境のずれを埋めることのできるリーダー」が登場することである。大切なのはよくありがちな「コミュニティ内部をぐいぐい引っ張っていくリーダー」ではない、ということだ。


なぜなら鍋的政治体制においては満足度が高いことは前提とされている。その満足度の高さもリーダーのカリスマ的才能などではなく、各人が主体的に参画した結果生まれているものである。そこで内部でリーダーがするべきことは決して上から意見を押し付けることなく、その各人の高い満足度をキープするために積極的に内部の意見を尊重していくことにある。


むしろ大事なのは組織の内部と外部をつなぐ存在になることであり、そのためにリーダーは存在しなければならない。組織の外部からの意見を取捨選択し、内部へと取り入れつつ、外部からの批判を減らしていく。鍋の時には無視できた「その鍋、まずいよ」という外部からの合理的批判も、政治においては減らしていかなければならない。


もちろんこういった姿勢はリーダー以外にも必要とされるものだ。しかし鍋と政治の決定的な相違点として、内部と外部のバランスを常に気を払える人物が必要とされることはいうまでもない。そして組織にリーダーがいる以上は、こういった観点を持っていないことなどありえない話である。


話が長くなってしまったが、まとめに入ろう。政治とは鍋に例えられるように主体的な参加があってこそのものだ、ということ。そして政治に参加していない人々の賛同を得るためには二つの解決方法がある。一つはその外部をなくしてしまうこと(=地方分権)、もう一つは外部の意見を積極的に聞く優れた代表者が必要だということである。


結局のところ私が言いたいことは、鍋でもなんでも身近な観点で政治を見直すと面白いのではないか、ということだ。そして少しでもいいから政治に参加してみる姿勢も、たまにはいいんじゃないだろうか。この文章から言えることがあるとするなら、こうだろう。


「やればやったぶんだけ、好きになってく。」


fin.

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